136年前の古地図で見る桶川市
 

 桶川市は埼玉県南東部に位置していて面積約25.35平方qで、現在、約3万2千世帯、およそ
7万5千
人が暮らし
ています。
町制以前の桶川市の状況を古地図で見ると、非常に興味深いものがあります。明治16年、私鉄日本鉄道が
できる前の明治14年ころのものと思われる古地図を見ると桶川市及びその周辺の状況が良く分かります。

地図には「桶川駅」と記載してありますが「鉄道駅」ではなく「宿場」の大きい街で、主に馬を留
置いて休憩させる宿場で「駅」を「うまや」とも読ませていたようです。「桶川駅」以南の次は上
尾駅はなく、「大宮駅」だったのですが、桶川より北東に位置する菖蒲町は、そのころ、すでに
「菖蒲町」だったのです。古地図を見ると「水田」の地域が広く稲作が盛んで、農家を中心にした
集落もかなりあって、穀高は周辺を圧倒していたのではないかと推測されます。一方、桶川は
上日出谷村などは松林が村の大半を占めていて米作には不向きな土地柄ですが、地図には
ほかに「楢」「松」「雑」「竹」「水田」「畑」の記載あって興味をそそられます。それらはすべ
からく楢林、松林、雑木林、竹林で、現在の江川用排水路と鴨川を中心にわずかばかりの
「水田」があり、川田谷村を中心に、ほとんどが畑だったようです。
そして、現在の大字のほとんどが「村」だったわけですが、ちなみに当時の地名を挙げると北足立
桶川駅、川田谷村、上日出谷村、下日出谷村、坂田村、小針領家村、倉田村、舎人新田村、加納
村、五丁代村、篠津村、となっています。1889年明治22年2月に、大日本帝国憲法が公布され、
その2ヵ月後の4月に桶川駅、町谷村(現在は若宮二丁目に「町谷緑町集会所」や上尾市上に
小字として「町谷」が残っている限りです)、上日出谷村、下日出谷村が合併して「桶川町」にな
り、一方、加納村、坂田村、篠津村、舎人新田村、小針領家村、五丁台村、坂田村が合併して
加納村になり、戦後、1955年、昭和30年3月に桶川町、加納村、川田谷村が合併して桶川町に
なり、1970年、昭和45年に桶川市になりました。。

古地図をご覧になりたい方は下記のアドレスをクリックしてください。古地図の左上の「市区町
村」のボタンをクリックすると、都道府県、市町村のダイヤログが出てきますので、そこで桶川
市を選んでください。古地図の上に青い文字で現在の町名が表記されていますが、左下の
「不透明度」の下の「基盤地図情報/地名」の横のダイヤログをクリックして「透明」を選んで
下さい。青文字が消えて古地図だけになります。

古地図(関東平野迅速測図)

http://www.finds.jp/mapdata/kanto_rapid.html.ja




 
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